School Daysから天才の思春期732

 たまっていた最後の三話を一気に視聴。
 11話の最後で、誠が耳元でささやいた一言によって言葉の瞳に光が戻り、さらにいつものサブタイトルのみの予告で「スクールデイズ」とくれば、まあ普通に見ている人はハッピーエンドと勘違いするだろうな^^; 原作知らなかったら。放送前のごたごたを知らなかったら。
 それはともかく、最終話。
 
 正直、終わった直後はしばらく(といっても5秒ほど)声が出なかった、ネット上であっちこっち騒いでいたので結末は知っていたのですが、それでも衝撃が大きかった。別にグロいとかそういうんじゃなくて、ただ「こいつらどこでどう間違えたんだろうな」と。
 加藤乙女は早々に幻滅して去って行った、清浦刹那は家庭の事情で恐らくは一度限りの思い出を抱いて舞台から降りた、最初から割り切った付き合いをしていた黒田光は自然で退場した。残されたのは、伊藤誠の子を宿して引けなくなった西園寺世界と病的なまでに一途な桂言葉の二人。二組の対照的なこのエンディングでの日常に、三人の姿形が見られないのは、なんとも寂寥感を覚えてしまう切ないエンディングだった。
 本来ならば、どのような形にせよ、あの年頃の子らはあそこにいなければならないのだ。
 そう考えてしまうと、とてもじゃないが、割り切って騒ぐことが出来ない。
 
 それは多分、現在私が「天才の思春期732」を執筆しているからだろう。天啓のように降りてきた彼ら三人をどうにか幸せにしようと、第9回角川学園小説大賞応募作を破棄してまで一から書き直した。
 732の三人には、特別な思い入れがある。
 私の中では、幹也は子供の頃すでに一度涙を枯らしている。生みの親を抹殺したのは彼にとって、昨日食べた夕飯程度の出来事で、どうって事はない。しかし現在の律法が彼に致命傷を与え、通俗な観念が心の大半をえぐっていった。
 だから私は、彼を幸せにしてやりたい。私にとって作品の登場人物の大半が、自分の子供のような存在だ。だから幹也・奈々・加奈子の三人はなんとしても幸せにしてあげたい。

情けないほど愛してる

遠くから眺めるいられるだけで、その日がちょっとましになるような気がしてたんだ

 最近色々あって、また2003年頃の「恋って何?もしかして鯉のこと?」現実逃避モードに入りかけていた。このまま書き進めていくと「永遠の恋人バッドエンド」になって、幹也のみ……しかも仮初めの幸せしかつかめなくなりかけたが、今回の「我が子へ」+「鮮血の結末」が反面教師になってくれたおかげで、「専用型恋人トゥルーエンド」に進めることにそうだ。
 やはり南雲幹也という少年の幸せは、二人の幼馴染みの幸せの上に成り立っている。極論、幹也が奈々と加奈子をかばって命を落としても、二人に傷さえなければそれは彼にとってのハッピーエンドになりえるわけだから。
 
 この国の大半の人間は1対2の恋愛は不誠実だと断ずるかもしれない、しかしは私はそういうのにこそ本当を愛を感じてならない。
 愛する女の忘れ形見を無私なる愛で育て上げる二人の男。
 内に、外に、傍らに。男の生前も死後も会社支え続けた三人の女。
 様々な事例があるように、この世には様々な愛が存在しているはず。
 
 いろいろと再認識させてくれた今回のアニメ化。皮肉ナシに、感謝をしなければない。